第五章 忍び寄る影

第五章   忍び寄る影

1

わたしは何故殴られたのかをずっと考えていた。何故彼らはわたしたちの宝物の件を知っていたのか。疑っていたのか。宝物の存在を知っているのはわたしたち三人のみだ。健ちゃんには切手をさばいてもらっただけで何もうち明けてはいないし絶対の信頼がある。崖崩れ直後の斜面にはわたしたちだけだと思っていたが、他に誰かが居たのだろうか。いや、工事作業員が線路側にいただけで見られては居ないだろう。残るのは、富田だ。彼はクジラの腕時計に異様な関心を示し、執拗にその出所を問いただした。それは父親の形見の品ということでごまかせたはずだ。したたかな富田はそんなことではだまされないかもしれない。クジラの父親が死んでいないと言うのも気になった。わたしたちの一挙動を隈無く観察して真実を突き止めるかもしれない。富田にはそんな執念深さがあった。自分の関心のないものには寄りつきもせず、だが一端くらいつくと、とことんはなさないスッポンのような性格だ。わたしの淡泊で鷹揚な生き方とはまるで正反対である。彼にはそれだけの生活力がある。たぶん小さな頃からの境遇がそうさせたのかもしれない。ともかく明日の宝の移動は中止した方が良さそうだ。わたしは公衆電話ボックスに行って住友に明日橋で会うことを約束した。クジラの家も電話はないのではあした家に寄ってさそうことにした。富田には悪かったが彼は誘わずに三人でまず話し合おうと思った。

日曜日の昼頃、その日も相変わらず連続した真夏日の真ん中だった。住友がクジラを連れてわたしの家に迎えに来た。そこで話し合って出たわたしたちの結論は、富田が奴らと通じているに違いないと言うことだった。彼はわたしたちの本当の仲間ではないこと、我々に近づいてきた理由が不純なのではないか、さらに彼はわたしとおなじように豊島小学校の校区近くに家がある。以前からあの小学校の連中とは顔見知りが多い。情報は筒抜けなのかも知れない。わたしたちは富田の家を訊ねることにした。

富田の家は二階建てだが、階下にある小さな窓からはがらくたが無造作においてある様子が見えた。がらくたのようにみえた機材類はみな油っぽく、自動車かバイクの機械部品を扱っているような倉庫だった。すべてがすすけていたが、倉庫の入り口に掛けてある南京錠だけが光っていた。

外から声を掛けると彼は在宅していた。寝巻きのような姿で二回の踊り場に姿を現し「おう、なんだよ。階段上がって来いよ」といった。

富田の家族の住む場所は二階のようだ。梯子段をやや上りやすくしたような階段がいきなり道路脇にあり、体をかがめないとつかめない低い木の手すりを頼りに軋ませながら上っていく。子供がやっと二人ほど立てる踊り場には梅や松の鉢植えがいくつも置いてあり、周辺をよけい狭くしていた。

入り口は引き戸でその日は開け放ってあった。中は暗くて奥の部屋はよく見えなかったが、歩くと少し沈む感じの畳で四畳半くらいの広さがあった。やたら天井が低いせいかともかく狭苦しい洞窟のように見える。小学生のわたしでさえで、身をかがめたくなる。さらに暗い奥の部屋は台所で、昼食後の食器類がそのまま流しにつけてあった。ほかの家族は出かけているようであった。家具の様子から推察すると、どうもこの二階の二部屋で家族全員が生活しているようだった。中は陽射しが遮られひんやりとして気持ちがよかった。

「おまえ豊島小の奴らと仲がいいのか?」住友が切り出した。

「何の話だよ」富田がまずとぼけて見せた。

「わかってるくせに」クジラが応酬した。

「全然わからないよ」

「富田、今正直に言った方がいいぞ、後で話がややこしくなる」とわたしが言った。

「つまり、オレたちの、見つけたもののことだよ」

「知らない」

「じゃあ、クジラの持っていた腕時計はどうしたと思う」

「親父の形見だろ?」父親が生きているという話は出さなかった。

「じゅんのモンブランは?」

「誕生プレゼントさ」

「質問を変えよう。小川ミチヒロ知ってるよな」わたしは攻め型を変えた。

富田は低い天井を見て首を何回もひねった後、思い出したように答えた。

「あの、豊島小学校の太ったヤツ?」

「そうそう、最近あったことは?」わたしも天井を見てみたが、不思議なことに所謂天井はなかった。よく見ると屋根そのものだった。傾斜が緩い屋根がそのまま見えているのだ。ここに天井をつけると完全に大人の頭はぶつかってしまうと思った。

「ないよ」ぴしゃりと言った富田の声で我に返った。

「ウソつくなよ、オレ大塚駅で一緒のところ見たぞ」おなかに力を込めて一息に言った。わたしはカマを掛けた。

「え、いつ?」

「最近だよ」わたしの顔を覗き込むようにしてから、またしばらく考えていた。

「ああ、そういえば偶然会ったことがあるなあ」

「やっぱり」心の中でヤッタと思った。

「そのとき何を話したんだ?」住友が詰問した。

「なにも話してないさ」

「おまえ奴らのスパイ・・・」とクジラが言いかけたとたん富田の態度が一変し声をあらげて喋り始めた。

「おまえら何が言いたいんだよ、聞きたいことがあるならはっきりいえよ!さっきからきいてればネチネチしやがって、やってられないよ!」ものすごい剣幕でまくし立てた。わたしたちはそれを聞いて少しひるんだ。クジラはその勢いに驚いて二三歩あとずさりしていた。

「オレが、奴らに何か密告してとでも言うのか、オレはおまえたちのこと何も言ってないし、奴らとは家が近いし会うことだってある。でも何もたくらんじゃいないよ。たくらむ必要もないじゃないか。そうだろ木村?」そこまで一気に話すとわたしの方に向き直った。

「なんとか言ってくれよクジラ、オレたち仲間だろ」

「住友、これからも一緒に野球しようよ、ピッチング教えてくれよ」富田はわたしたち一人一人順々に訴えかけた。しばらく誰も口を利かなかった。

わたしたちは、示し合わせるでもなく住友の返事を待った。住友もどうしようか迷っているようで、ぼろ屋の中をきょろきょろ見回していた。天井のないのに気が付いたのだろうか、びっくりしたような顔をして上を向き首を回す仕草を繰り返していた。

「何とか言ってくれよ、住友!」富田が田舎芝居の芸人のようなセリフでせっついた。

「まあ、いいや富田」住友がどうにでもとれる裁定を下した。

「住友、やっぱ信じてくれたんだような、さすがリーダーは違うぜ」富田は住友を褒めちぎり歯が浮くようなお世辞を連発した。いつ住友がリーダーになったのかわたしは不満だったが、まあ、外から見るとやはりリーダー格に映るのかと思い納得してしまった。

富田はどうやってあんな啖呵を考え出すのだろうか。誰に教えてもらったのだろうか。押したりひいたり自由自在に言葉を操る。そして住友を説得すれば何とかなるという計算も働いていたようだ。しかたがなくわたしたちは彼に疑いを掛けることをやめて、以前のように付き合うことにした。もちろん、仲間として行動すること、奴らに近づかないことを誓わせた。しかし、考えてみれば何の解決にもなっていなかったのだ。住友はわたしに寄ってきて「まだ信用した訳じゃないからな」と耳打ちしてからみんなに「暑くてやってられないぜ、今日はプールだ!」と大声を出して誘った。

2

区民プールは着替えの施設がぼろで気に入らなかった。それにいつも混んでいるが、家から近いし豊島区民ではないけれど小学生は料金が安いので頻繁に利用していた。何度もプールに行く計画は延期されていたのでその日は本当に久しぶりだった。急いで着替えをすまし足から水に入った。ひんやりとして身体を刺すような刺激を期待していたが、その日は暑さと混雑でぬんめりとした緊張感のない水質だった。

「何だ、風呂みたいだ」

「ぎゃ、ぬるま湯だ」クジラも不平を言った。

それでもその日の暑さをしのぐには十分だった。相当に混雑していたので競争したり、まっすぐに泳ぐのは不可能だった。人をよけくねくねと曲がりながら平泳ぎでプールを横に往復したがどうしても誰かにぶつかってしまう。しかたがないので石をなげて拾う遊びをやった。これには裏技をつかった。同じような形の石いくつか持っていて遠くへ投げる、探してうまくいかなければ持っているのを披露するというやり方だ。この掟破りの方法でわたしはいつも一番になれた。プールの二時間はすぐに過ぎた。

プールの帰りは必ずアイスキャンデーを買って食べるのがわたしの習慣だった。住友と富田は家に戻ったので、わたしとクジラはキャンデー屋に寄り道することにした。わりばしに長さ二〇cmほどの丸い筒状の白いアイスキャンデーで割り箸の先に当たりのマークが刻んであればもう一本もらえる。あたり棒は割り箸の先に焼き印らしき焦げ付いた字が押してある。当たり棒をごまかすため、誰かがはんだごてを使って偽造して大量に当たり棒が出回ったためキャンデー屋が警戒をした。そしてついに「アタリ」を「あたり」とひらがなで書い偽造した輩がおり、それ以来アタリの割り箸はキャンデー屋からすべて姿を消してしまった。

プール隣の天祖神社の南側には広い空き地があった。空き地の廃材に腰掛け、ちんちん電車が通るのを眺めながら食べるアイスキャンデーは最高だった。けだるく疲れた体に甘い香りの糖分が全身を癒してくれる。プールで少し冷やされた身体はすぐにまた焼けてきてまた肌の茶褐色に磨きが掛かった。

アイスキャンデーをしゃぶりながら、神社そばの空き地で休んでいると、角刈り頭にタオルでねじり鉢巻きをした姿の兄ちゃんが木箱を肩にかついでバールを手に持ち、駅の方から空き地につながる階段を上ってきた。板の切れ端を合わせて作ったような木箱は、からだの大きなその兄ちゃんでもたいそうな荷物を苦労してかついでいるように見えた。空き地のほぼ真ん中までくると木箱を大事そうに地面におろした。額には汗が噴き出しており、ねじりはちまきのタオルをとって顔と頭を拭いた。ランニング姿の首から肩にかけては木箱が食い込んだ後がくっきりと赤い線になってみえた。木箱の上蓋をバールで丁寧にそして素早くこじ開けた。きゅっきゅっと音をたてながら釘が抜かれると中からはものすごい力で押しつぶされて詰め込まれていた籾殻が勢いよく飛び出してきた。そして少し小振りの青いリンゴも籾殻の中から顔を出しているのがみえた。たぶん駅前商店街の果物屋の従業員に違いなかった。汗を拭き終わった兄ちゃんはタオルを今度は腰のベルトに挟み、これから始まる退屈な作業を呪うような顔つきで、ひと息ついたあと「おらよ!」と言って、箱を空き地の真ん中でゆっくりとひっくりがえし籾殻の山を作った。空き地には木陰がない、太陽に照りつけられている籾殻の山の中からいくつもの若草色の粒が光っていた。わたしたちはものすごく平和な気分でアイスキャンデーをなめながらその作業を眺めていた。果物屋の兄ちゃんは籾殻の中からていねいにリンゴを取り出し開けた空箱の中にひとつひとつ戻した。作業が終わると来たときよりやや柔和な顔になってリンゴの入った箱を肩にかついでもと来た道を戻っていった。それは、わたしたちのいる間に数回繰り返された。わたしたちはアイスをとっくに食べ終わっていた。

何回目かの作業の後、果物屋の兄ちゃんはわたしたちに声をかけた。

「おまえら暇そうだな」

「まあね」わたしが生意気そうに言った。

「おまえら手伝ったらリンゴやるから」そう言ってわたしたちを軽作業に誘った。

「どうすればいいの」元々わたしたちは何もすることはなかったし、その誘いの二つ返事で乗っていった。

「オレがここのにリンゴ箱をひっくり返すから、おまえたちはその中からリンゴを探して箱の中に戻す。簡単だろ」

「わかった、探して箱に入れればいいんだね」

「ああ、傷つけないでな、丁寧にやれ」

わたしたちはリンゴ箱をひっくり返して中身を空き地に広げた。籾柄の大きな山の中からリンゴを採りだしては箱に入れた。クジラの方を見るとやつも一生懸命に働いている。籾殻は暖かく乾燥していた。砂場の宝探しのようでこちらが入場料を払って遊ばせていただきたい気持ちだった。大人の仕事なんてチョロいものだと感じた。

わたしたちが楽しんでリンゴを探しては箱に詰めている間、果物屋の兄ちゃんはわたしたちがさっきまで休んでいた廃材の上に腰を下ろしてタバコを一服しながら、遠くにみえる大塚駅に山手線の電車が出入りするのをぼんやり眺めてた。その態度を見ていたら仕事さぼって子供にやらせている搾取者のようにおもわれ良い気がしなかった。

「おまえたちどこの学校?」また、大人の紋切り型の質問が始まったと思った。

「豊島小」わたしは瞬間的に嘘をついた。クジラがわたしの方を見た。

「オレの後輩だな?」

「ああ、そお」気のない返事をした。

「何年生?」

「六年」会話はそれ以上続かなかった。

わたしはすべてのリンゴを箱に入れたふりをして一つを籾殻の山の中に隠した。籾殻を探して自分が確保したリンゴ以外に確認できなくなったところでクジラに声をかけた。クジラも作業を終えていたようで、「もうない」と言うように手を横に振る仕草をした。

「終わったよ」とわたしたちは果物屋の兄ちゃんに声をかけた。

「ごくろう、じゃあごほうびだ」果物屋の兄ちゃんはそういって、わたしとクジラに商売には向きそうもないできるだけ不格好で傷物のリンゴを選んで一個づつ給付し、肩にリンゴ箱をかつぎ機嫌よく口笛を吹きながら帰っていった。

果物屋が帰った後クジラがわたしに言った。

「おまえ隠したろ」

「おまえもな」

「いくつ?」

「ひとつ」

「オレも」

わたしたちは味を占めて、また次に果物屋の兄ちゃんが来るのを待った。結局その日は二回手伝いをして四個の戦利品があった。

3

空蝉橋から春日通りに抜ける道は車がほとんど通らない割には幅広で、道路脇は近所の住民の駐車場と化していた。その中に数週間置きっぱなしの茶色の小型乗用車があった。たぶん古くなったのでそのまま放置してある車だと思っていた。タイヤは左前輪がパンクしたまま、埃りだらけでナンバープレートは外されていた。そばを通るときにいつも気になっていたが、ドアに手をかけて引いても開かなかった。ところがその日、皆と車のそばを通りかかると左ドアのウインドウが割られていてロックが外されていた。誰かが中の物を盗んだに違いない。

「おい、中に入れるぞ」住友がやや興奮しながら言った。

「やばそうだな」クジラが言った。

「オレが運転する」そういって住友が車のキーを探したがあるわけがない。

わたしも中に入り助手席に座った。ダッシュボードの中を探ったが、車検証も取扱説明書もなく古ぼけた地図が一冊あるだけだった。

「こりゃおもしれえ」クジラは車の屋根に上がったり、トランクに入ったりやりたい放題だった。

車を運転することは憧れだった。自宅には車は所有してなく健ちゃんのオートバイの後ろに乗せてもらうのがせいいっぱいだった。住友は運転席に座ってハンドルをにぎり、口でエンジン音を出しながら悦に入っている。唇を振動でふるわせぶるぶる言わせていた。まるで金魚鉢の中の金魚が口を上に向け空気を求めているようだった。車中はガラスが破られていたため細かい砂や土で汚れておりわたしたちの洋服はいっぺんに粉をかけられたように埃っぽくなった。

「おい、気分がでないな、外に出て車を揺らしてくれよ」住友が言った。

「おまえやれよ」わたしが住友のわがままを制した。

「じゃあ、じゃんけんだ」クジラを入れて三人で対決した。

結局、わたしが負けて外に出て後ろのバンパーの上に立っておもいっきり体重をかけてクッションを利用して揺らした。

「どおだ、気分でたか?」わたしが叫んだ。

「うん、最高だけど、もっともの凄くやってくれ」住友が要求した。

こんどは車の前に回って、前方のバンパーに足をかけて揺らした。ウインドウ越しに子供が一生懸命になってハンドルを握りしめている姿を見ていると、なんだか滑稽に見えた。揺らしているとボンネットのロックがはずれているのが分かった。揺らすのを止めボンネットを上げると機械がぎっしり詰まっているのが見えた。住友が車から出てきて二人で中を覗き込んだ。

「これがエンジンで、これはキャブレター、バッテリー」住友は、聞きもしないのに次々と部品の説明をしていった。かなり詳しいようだった。そう言えば住友の家には自家用車があるし、オヤジは自動車会社に勤めている。

「このバッテリー使えそうだな」

「なににつかうの?」

「明かりをつけたり、電気の実験をしたりできるのさ」住友が解説した。わたしはそれがとても貴重品のように思えた。

「もらっていこうよ」

「はずせないかな」

「トランクに工具が在るはずだ。クジラみてこいよ」住友が言った。

クジラがマイナスドライバを持ってきた。住友はドライバーを使ってバッテリーを止めてある部分と配線されている部分を丁寧に外しバッテリーだけを取り出した。

「まだ使えそうだ、ショートさせるなよ」

道路にバッテリーを置き、ボンネットをすごい音を立てながら閉めた。この戦利品を使っていろいろ遊べそうだ。それに、わたしは住友の実験という言葉に大いに惹かれ夏休みの工作に利用することも思い浮かべ楽しい気分になった。

「運転の続きをやろうぜ」

「揺さぶり要員交代!」わたしが号令を発した。

運転席の気分は上々だった。キーを入れて回し、エンジンがかかる音を口でまねした。ハンドルの下を見ると、キーボックスとドアの間に蜘蛛の巣が張っていた。こんなところで獲物はあるのだろうか。考えていると、さっきからの騒動に驚いたのか一匹の蜘蛛が這い出してきた。やや大きめの家蜘蛛だった。捕まえようとすると蜘蛛はジャンプして住友の腕に留まった。住友が驚いてのけぞると「ぎゃー」と言って、わたしに何とかしてほしいと懇願した。わたしにとって蜘蛛は友達だった。憎めない昆虫なのだ。蝶々は嫌いだった。羽化する前は毛虫だし、羽は壊れやすいし、なにより吹き出す羽の粉がいやだった。カブト虫は怖かったが蜘蛛とミミズは全く平気だった。住友がたたき落とそうとしているのを制止して、わたしがつまみ上げ手のひらに載せた。一センチほどの蜘蛛だが殺したくはなかった。蜘蛛は益虫と言う概念があったので、そのために親しみがわくのだろう。祖母から朝の蜘蛛は縁起がいいとか、蠅とか蚊の害虫を捕ってくれる益虫だから大事にしろといわれてきた。指で柔らかく捕まえてウインドウから手を出して外に逃がしてやった。蜘蛛は糸を引いて初夏の風に乗って公園の方のとばされていった。

クジラが外にでて今度は車の横に立って揺さぶった。力一杯やるが非力なのもあって全然迫力がない。今度は車の屋根にのってジャンプを始めた。屋根上でがんがん鈍い音が響き、埃が落ちてきた。そのうち天井が少しへこみだした。

「うるさいだけだ、もっと何とかしろ!」住友が後ろの席でふんぞり返って怒鳴った。

「屋根がぼこぼこになった、オレ知らねー」クジラが楽しそうに叫んでいる。

「だからもっと揺らせよ、後ろのバンパーがいいぞ」

「わかった」クジラは車の屋根からおりてうしろにまわり、最初にわたしがしたようにバンパーの上に立って揺らし始めた。

「それ、それ、いい調子だぞ」すうかり運転している気分になり、楽しくなった。

「もっともっと」言いながらハンドルを左右にきり続けた。小さい揺れに混じってときどき大きな波がやってきた。

「いいぞー、クジラ」言いながら変な予感がした。クジラがこんなに力があるはずがない。バックミラーを見ると自分の顔が見えた。ゆっくり後ろの窓が見えるようにミラーを調整すると、泣きそうになっている顔のクジラの隣に何処かで見た顔の、からだの大きい子供が一緒になって車を揺らしている。

「だれだ?」後ろを振り返ると住友は気づかずに足を組んで、専用車の後席でくつろいだ会社社長のような体勢でふんぞり返っていた。

「おい、なんだか外の様子がおかしいぞ」わたしは後ろの席で相変くつろいでいる住友に言った。

「なにが」といいながら住友は後ろを振り返った。

「やばい、隣の学校の奴らだ」

「おすもうさんだ」その叫びが終わる前に、屋根の上からもの凄い衝撃音があり天井が大きくひずんだ。わたしたちは思わず頭を手で覆った。

ドライブが最高潮になっていたところで、豊島小学校の奴らが来たのだ。ここは豊島区で奴らの学校にも近い。彼らのなわばりだった。

「おまえら、こんなとこまで遊びに来ているのか」車の外から大きな声がした。彼らだということは直ぐ分かった。彼らは小川を入れて四人いた。形勢は不利だ、面倒なことになる前に速く逃げる方がいい。

「悪いかよ!」住友が、気負っていった。

「だれの車だこれは」小川がドスの利いた声で言った。

「オレたちが見つけたんだ」クジラが応酬した。

「おや、こないだの泣き虫のお兄ちゃんじゃないか」小川がクジラを見ると言った。

「お顔の傷はもう直ったかい?」長谷川もにやにやしながら近づいてきた。

「おい、じゅん、こないだはよくも逃げたな」小川がすごんだが、わたしは何も答えなかった。

「人の車こんなにして、まずいんじゃない」ソバ屋の玉木が口を出してきた。

「壊れてたんだよ、知ってるくせに」わたしも負けずに口をトンがらせた。

「一ヶ月前から置きっぱなしだよ」

「あんまり、オレたちのシマ荒らすなような」長谷川が肩を揺らしながら言った。そして長谷川は道路脇に置いてあるのバッテリーに目をつけた。

「いい物があるな、これもらって行こう」長谷川が勝手に持ち帰ることを宣言したが、わたしたちは誰も反発しなかった。

「とってこい」玉木が黒縁メガネに命令した。

黒縁メガネは言われるままに、バッテリーを重そうに持ち運び、南の島の原住民がキングコングに捧げものをするような物腰で差し出した。

「なんだよ、おまえが運ぶんだよ」小川に言われて黒縁メガネは不満そうに言った。

「でも重いよ」

「だから?」みんなから無視されそれで会話は途絶えた。やはり、黒縁メガネはいじめられていると思った。

「バッテリー少しは金になるかなあ」小川が言った。奴らの動機は不純だと思った。わたしは、実験に使おうと思ったのに。しかし多勢に無勢わたしたちは逆らえずに彼らの行動を見守っていた。彼らはそれ以上わたしたちにはかまわずバッテリーを運んで帰っていった。

「ちきしょう、なめやがって」住友とクジラが同時に言った。

「もう帰ろう、つまんねえ」

「今日の遊びは終わりだ」

「やつらはいつも連んでいる。一人じゃ何もできやしない」

「情けないよな」クジラが憤慨して言った。連んでいるのはわたしたちも同じような気がした。でも三人は自由だ、拘束される物はなにもない。

「それに奴らには完全に序列がある、オレたちは平等だよな」クジラはわたしたちのグループの優位性を盛んに主張した。

「黒縁メガネなんて完全に奴隷だよ」

「奴ら楽しそうじゃないような、それが決定的な欠陥だ」

「うん、あの黒縁メガネは完全にいやがっている」

「ともかく、奴らこのままじゃ置かない」住友が強がったが、何をするすべもなかった。わたしたちは打ちひしがれたまま、帰途についた。

4

次ぎ日の放課後、わたしたちは大塚公園に集まった。キャッチボールをする予定だったがいっこうにボールを投げようとする者はいなかった。グランドにつながる石の階段に座って、ほかのグループの草野球を眺めていた。階段の脇溝には高台にある噴水からの水が勢いよく流れていて、じっと見ているとしばらくのあいだ暑さを逃れられるような気がした。

わたしたちの怒りと敗北感は頂点に達しており野球どころではなかった。放置自動車での件でわたしたちの遊びを邪魔されたのが我慢できなかった。

「もうやるしかない」住友が思い詰めたように言った。

「これ以上ほっといたら、あいつらのやりたい放題だよ」わたしも思いっきり声を低くして押し出すように言った。

「でも、体のでかいやつには勝てっこないよ」クジラはため息をついた。

「小川のことか?あいつ小さい頃は弱虫だったんだけどな。こんどぶちのめしてやろうぜ」わたしはそう言いながら運動靴と靴下を脱いで流れる水に足当てて堰き止めた。火照った足が冷やされると身体全体に活力がみなぎってくるようだった。堰き止められた水はすぐにあふれて階段に広がって流れた。

「最近、体もすごく大きくなってるし、柔道も強いっていうじゃないか」クジラが弱々しく付け足した。

「知恵を働かせるんだよ」と住友が言った。

「仲間は富田を入れたって四人しかいないし、勝てない喧嘩したってしょうがない。オレはやらないよ」クジラは相変わらず消極的だった。

「富田?あいつは入れない方がいい」わたしはまだ富田を信用していなかった。

「じゃあ三人でやるのか、絶望的だ!」

「何か作戦があるのか?」わたしは住友に訊いた。

「不意打ちをくらわすんだ」住友は左手のグローブに軟球ボールを何度もたたきつけて言った。

「いつ?」「どこで?」わたしとクジラが矢継ぎ早に訊いた。

「こんどの縁日でやる」住友がきっぱりと言った。

つぎの大塚駅前の縁日は七月一七日の日曜日だった。

「あさってかい、どうして?」素朴にわたしが訊いた。

「何で縁日に奴らが来るってわかるんだよ?」クジラもたたみかけた。

「おまえら、耳の穴かっぽじってよく聞けよ。きのう帰ったあと、松屋デパートに行ったんだよ。そうしたら偶然、ヤツに会った」

「だれ?」

「おすもうさん、小川だよ。三階の売場でお袋さんらしい人に、金魚鉢を買ってもらっているのを見たんだ。これは奇跡というか、神様の思し召しというか」住友は得意そうに言った。

「だから?」

「だから、あいつは、必ず金魚スクイをやるはずだ」

「どうして?」わたしとクジラが同じ質問を繰り返した。

「まだわからないのか?おまえらほんとにボケナスだな」住友がクジラとわたしを一緒にしたのは気に入らなかった。

「母親が金を払っているとき、金魚は今度の縁日で取ってくるようにいっていたんだ」

「ふーん、意外と準備いいヤツだな。オレなら金魚すくってから入れ物を買うことを考えるけれどなあ」クジラが感心して言った。

「だから、あいつは必ず今度の縁日で金魚スクイをやるはずだ」

「うーん、そして?」わたしはアイディアが出て来ずに唸った。

「金魚スクイに夢中になっているところを後ろから押すんだ」住友はそう言ってわたしの肩を強く押した。

「あいつは金魚スクイの桶に頭を突っ込む。馬鹿でかい体だから桶から金魚があふれて大騒ぎになるはずだ。な、いい考えだろ」

「頭ぶつけた上に金魚スクイ屋のオヤジに怒られる」わたしが付け加えた。

「そしてそれを見届けて、オレたちは逃走する」住友が続けた。

「仕返しされるぞ」とクジラ。

「縁日だろ人が多いし、誰がやったかわからないさ」

「まあな」

「それにやるときは、お面をかぶるんだよ」住友は浅黒い肌によく似合う白い歯を出して笑った。

「うんうん、スミおまえ頭いいな」ニヤニヤしながらクジラも話に乗ってきた。

「もし見つかって、追いかけられたら?」わたしはさらに念を押した。

「うーん」住友はまた、グローブにボールをたたきつけた。ぱしっという乾いた音がした。

「むしろおびき出したらどうだ、だめ押しに」わたしがアイディアを出してみた。

「よし、もし奴らが追ってきたら、神社の裏に逃げ込むからクジラは先回りしてそこで待ってろ」

「そして?」

「ロープ作戦だ」

「ロープ?」

「オレがおびき出して、駆け込んでくるから、神社の庭の狭い道にロープ張って準備しているんだ」

「おうよ!」クジラが威勢良く叫んだ、

「来たらロープで転倒させる」住友は階段の下まで降りていき走って転ぶまねをして実演して見せた。

「転んだら、砂かうどん粉を目つぶし食らわせて、後は袋叩きだっていうのはどうだ」わたしもグランドに降りて、砂を掴み住友に掛けるまねをした。

「ついでに胡椒の粉もかける。これは利くぜ」クジラが武器の追加を申し出た。

「おもしろい、やろうぜ」住友も賛成した。

「よし、お面を買おう」クジラが叫んだ。

「そうだな、顔を見られないのに越したことはない」わたしも理知的に同調した。

「奴ら何人で来るのかな?」

「そんなのわからないけど、ひとりじゃないだろ」

「ともかく、準備をしよう」

わたしたちは、前もって縄跳び用のロープと小麦粉、胡椒を分担して持ち寄り、お面は縁日でそれぞれ気に入ったものを買うことにした。

「戦う武器はどうする、オレ兄貴の竹刀と木刀があるよ」クジラが言った。

「よ!剣道の達人」わたしがはやした。

「無手勝流だ、武器はいらない」住友が言った。

「ナイフはどうする」クジラが言った。

「まずいよ」わたしが常識的に答えた。

「じゃあ、ピストルは?」「機関銃も」「火炎放射器なら一発でしとめられる」話は止めどもなく発展し、わたしたちは存分にそれを楽しんだ。作戦は必ず成功すると信じていた。

「そんなに武装したいなら、駄菓子屋で売ってる癇癪玉でももって来な」わたしが言った。

「お守りぐらいにはなるかもな」住友が言った。

「ネズミ花火か爆竹って言う手もあるなあ」クジラもたまには良いことを言う。

「二B弾も持っていこう」わたしもだんだん楽しみになってきた。

「やつらの横暴は、もう許さない。最高の計画だ、失敗するはずがない」住友は重々しく言った。

わたしのそれまでの経験では、この手の計画は予測通りに行ったことがなかった。予測通り行くのは食べ過ぎた次の日の腹痛、朝寝坊のあとの遅刻、勉強しないで受けたテストの結果とか悪いことばかりだ。すばらしい結果が予測される計画などうまくいくためしはなかった。しかし、このときの作戦は完璧なように思われた。これ以上の方法は見あたらないし、必ず成功するとわたしたちは確信した。

5

駅前は、夕方の行楽帰りの人々や買い物客で混雑していた。七の日は天祖神社の縁日で、その日は日曜日と重なったためたいそうな賑わいと活気があるようにみえた。

わたしたちは、人だかりがまばらな瀬戸物売り場のところへ集合した。そこは出店の中でも駅から離れた道路沿いの場所で、賑わいも少なかったので仲間を見分けるのが容易だった。わたしが集合場所に着くと、グジラと住友が茶碗を手にとって話し込んでいた。子供が二人で茶碗を物色しているのは何とも怪しげな風景だった。声をかけると偶然に出会った友人を見るような目をして驚き、一呼吸してから「なんだ、じゅんか」と言った。最初からの約束の場所で会ったのに二人は妙にびくびくしていた。作戦がいよいよ決行することで緊張しているのだろうか。それとも住友が動物の絵がついた茶碗を持っていた照れくささなのだろうか。ともかくわたしも含め皆落ち着かない様子だった。

「一応、富田にも声をかけたから」クジラが言った。

「ええ?やばいよそれ」わたしは拒否反応を示した。

「オレが頼んだんだよ。まあ仲間は多い方がいいじゃないか」住友が頼んだなら仕方がないと私は思ったが、よけいな不安材料だ。

「人によるよ。スパイだったら筒抜けになるぜ」

わたしたちは富田を待っていたが一向にやってくる気配はなかった。

「どうせ、あいつ来ないよ」わたしは投げやりぎみに言った。

「ああ、来たら本当の仲間にしてやって、宝を分けてやってもいいのにな」住友が言った。

「富田にも言ったんだよ、加勢すれば宝を分けてやるって」クジラがさらりと言ったが、住友は見逃さなかった。

「おい、ちょっとそれまずいぞ、今日の計画のことは話してないんだろうな。それに宝のことも話したのか?」

「いや、あんまり。縁日行くからこれたら来いっていっただけさ」

「あんまりって、隠し場所なんか言ってないだろうな」

「ああ」クジラが鼻の汗を手で拭きながら言った。

「よし、最初から当てにしてないさ」

「じゃあ、出発だ」

「気勢でも上げるか」わたしたちは小さな声で「エイエイオー」と鬨の声を上げた。

わたしたちはお面を買わなければならなかった。だるまの置物屋と、キーホルダーなどの土産物屋の間にお面屋があった。わたしは一番安い月光仮面のお面を買ってお金を払っていると後ろから肩をたたかれた。振り向くと、林久美子と関順子だった。

「ああ、久美ちゃん、あれ関さんも!」わたしは肝をつぶしていた。

「あら、住友君と鯨岡君も一緒なの?」

「おう、おまえたち二人で来たのか?」住友が粋がっていった。クジラはいかにもまずいなという顔をした。

「そうよ、何でお面なんか買っているの?」

「まあ、いいじゃない、従弟のおみやげだよ」

「なんかウソっぽいけど、それよりじゅんちゃん、このあいだ今度おごるよっていってたよね」

「ああ、ギズの手当してもらったときのことか」

「そうそう、あんみつか、氷イチゴだったよね、でも今日は焼きそばでもおごってもらおうかな。いいでしょ?」久美ちゃんが率直に申し出た。

「いいけど」そう言って住友の方を見ると「だめだ」と声を出さずに口を大きくぱくぱくさせて意思表示していた。

喧嘩の計画は男だけしか知らなかった。林久美子は浴衣を着てきた。関さんは相変わらず柔らかそうにふっくらとしたブラウスとスカートだ。わたしたちはそのまま一緒に歩き始めた。喧嘩とはほど遠い、何とものんきな集団に見えた。「なんで、一緒になっちゃうんだよ」住友がわたしに言った。

「しょうがないじゃないか、ついて来ちゃったんだから」わたしは自分の意志でないことを主張した。

「喧嘩だろ、わすれたのか」

「ああ、わかってる」

通りすがりに金魚スクイとヨーヨーすくいの屋台をのぞいてみたが、連中の姿が見えなかった。

「今日はこないよ、焼きそば食べよう、腹が減ったよ」クジラが言った。

「まだ六時前だぜ、早いよ」

「それより、用意した物はあるような」

「うん、縄とうどん粉に胡椒、神社に隠してある」

「よし」住友がどこかの親分みたいな口調で偉そうに言った。

「何、こそこそ話てんのよ」突然久美ちゃんが会話の中に入ってきた。「あんたたち、またへんなこと考えてんじゃないでしょうね」

「なんのことさ」わたしが訊いた。

「懲りずに、万引きするんじゃないでしょうね」久美ちゃんは健ちゃんから万引き事件のことを聞いて知っていた。

「冗談言うなよ」

「はらへったよ、何か食べようぜ」クジラが繰り返した。

「さんせー」関さんのかわいげな反応でわたしたちは屋台を物色し始めた。

最初に目に入ったのは大判焼き屋だった。小倉案、白あん、クリーム入りなど多くの種類を夫婦で焼いており、たくさんが仕上がってケースに並べられていた。その隣がチョコバナナやジャガイモ焼きなどという得体の知れない屋台が続いた。焼きそば屋は出来上がりのそばを盛っている最中でたいそう混んでいた。子供たちに混じって大人も物欲しそうな顔をして焼きそばのじゅうじゅうする音に聞き入りながら並んでいた。そのとなりのお好み焼きも人気があって行列が出来ていた。ちょうど焼きあがったようで中年のオヤジさんが忙しそうに鉄板上に作ったお好み焼きにソースや青海苔をかけているところだった。焼きそば屋のオヤジの額に丸い汗の粒が光っているのが遠くからでも見えた。キャベツと濃いソースが焼けている、それに紅生姜に鰹節、天かすとすべてのにおいが絡まってお好み焼きに引きつけられていく。

「お好み焼きにしよう」わたしが言った。

「メチャクチャ、混んでるよ」住友は待つのが厭なようだった。

「夜は長いって」

「隣はすいてるぞ」クジラが水飴屋を指さしていった。

どうゆう分けかその隣の水飴屋は道路に水たまりでもあるかのようにぽっかりとあいていおり客がいなかった。だいだい色の模造紙に墨汁で「あんず飴」と書いた手づくりの看板が立っていた。

割り箸を半分の長さにした棒に刺したあんずにとろけた水飴を巻いて氷の台のうえに整然と並べてある。中身はあんずだけではなく桜桃、さくらんぼ、かんみかん、スモモが色鮮やかに置いてあった。前列に並べられた果物の缶詰は外国製のようで、英語で中身の具を説明してあるようだった。売り子のおばさんの前には大きな金ダライのような入れ物があってそこには水飴がたっぷりと入っていた。おばさんは腕に金色のブレスレットをつけ、ふくよかな丸い手でスモモに棒を刺しそして器用に水飴を取って着色料で真っ赤なスモモにくるみ氷の台におく動作を繰り返していた。

わたしは縁日に来ると売っているものよりも、そこの売り子のことを考えてしまう変な癖があった。おばさん若そうだけど三〇代前半なのだろうか、ずいぶんおしゃれしているけれど結婚はしているのだろうか、どうしてこの仕事に就いているのだろうか。そんなことを考えながらずっとその動作に見とれていると、ほかのみんなも集まってきた。おばさんはわたしたちに向かって「ゲームもあるよ、当たればもう一本もらえるよ」そう言うとわたしたちの頭越しに遠くの客に「いらっしゃい、当たればおまけが付くよ!」と大きな声で呼び込みをした。だんだん客が集まりだした。わたしはそろばん塾の帰りに健ちゃんに買ってきてもらう甘酸っぱいスモモを思い出した。

「おばちゃん!スモモひとつ」わたしは勢いよく言って握りしめていたお金をつきだした。

「あいよ!」と言っておばさんはお金を受け取ると、氷の台にあるスモモを刳るんだ水飴を一本取ってわたしに渡し「じゃあ、このゲームやってね」と商品ケースの前においてある円盤のようなゲーム機を指さした。

ゲーム機といっても子供が夏休みの自由研究の宿題で作った木製ルーレットのようなもので、軸をつかんで回すと中の矢印が回転し、円を一六分割ほどしてある何処かに納まる。その中に「はずれ」と「一本」「二本」「三本」の位置があり、矢印がそのどこかに納まるという代物だった。「はずれ」の場所がほとんどで「一本」の当たりは三箇所、「二本」の当たりは二箇所、「三本」の当たりは一箇所しかなかった。わたしはこの手のゲームで当たった試しがない。神様に祈りながら勢い込んで回した。

案の定「はずれ」で追加の飴はもらえなかった。

「坊や残念だね、またどうぞ」おばさんは機嫌良さそうに言った。坊やという言葉に少しこだわっていると「オレもやる」といいながら後ろから住友がわたしの背中を押しながら進み出てきた。やつは飴よりゲームの方に興味があるらしい、根っからのギャンブラーなのだ。住友はミカンを注文しルーレットに向かった。

「じゅん、こうゆうのはおもいっきりやらなくちゃだめなんだ。いいかよく見てろよ」自分はプロだとも言いたげに片手に水飴を持ちながらルーレットの木の軸をいじくり回した。

「関係ないよ、確率が悪すぎるんだ」わたしは言い返した。

彼が思いっきり回すと中の矢印はカラカラと乾いた音を立てて回り、スピードを徐々に緩めた後、青く塗られた地の色に白抜きで「三本」と書かれた場所に固定された。

「ヒヤッホー!」住友が叫んだ。

「やったね兄ちゃん、三本おまけ、何にしますか」おばさんが負けずに大声で叫んだ。「久美ちゃん、何にする?」住友が林久美子に向き直り注文を取った。

「いいの?」

「何でもたのめよ」

「じゃあ、わたしもスモモ」久美ちゃんが言った。

「関さんは?」

「じゃあ、ミカンお願い」関さんが幼児声で言った。

「クジラ、おまえもたのめよ」

「いいのかい、兄貴」いつの間にか住友は兄貴分になっていた。

水飴屋のおばさんが何で住友を「兄ちゃん」と呼びわたしを「坊や」と呼んだのかを考えていた。おばさんの三〇代の人生なんてもうどうでもよく、わたしはお好み焼きをやめて水飴屋を選んだことに後悔し始めていた。

「ありがと、住友君」久美ちゃんと関さんが水飴をなめながら言った。

「いいってことよ」住友は上機嫌だった。

わたしたちは水飴を食べながら、再び金魚スクイの屋台の方に向かった。みなスモモの着色料で舌と唇が真っ赤になっていた。久美ちゃんは赤く染まった唇が浴衣姿によく似合い、中学生か高校生のように見えた。水飴では腹は膨れない、わたしたちは次に何かを食べようと屋台を探索しながらぶらぶら歩いていた。

「そろそろ別行動の方がいいんじゃないか」わたしは住友にアドバイスした。久美ちゃんたちは一緒にいると目障りだし、計画がばれそうな予感がした。それにこのままだと計画は実行されずに「復讐の縁日」がただの楽しい縁日に変貌してしまう。住友も承知していて「そうだな」と応じた。

「あのー、久美ちゃん、じゃあオレたち駅の方に行くから」住友が言った。

「えー、お好み焼きおごってくれないの?」久美ちゃんが甘えるように言った。

「もう空いてきたかもね」関さんも一緒に行きたそうだった。

「こんどね」わたしが幼児を宥めるように言った。

「もう、帰るの?」

「いや、そうじゃないけど」

「ふーん変なの、じゃあまたあとでね」久美ちゃんが不思議そうな顔をした後ニッコリしながら諦めて言った。

久美ちゃんたちはお好み焼きの屋台の方に向かい、わたしたちは金魚スクイ屋の方に向かった。

そのとき突然、住友が「おい、やつらだ」押し殺したような声で言った。「大勢いるぞ」クジラが付け加えた。わたしはぎくりとして今までの空腹感が吹っ飛んでしまった。やはりその日は普段の縁日とは違うのだと改めて思った。

奴らは綿飴を食べながら神社の方に向かっていた。神社の近くには金魚スクイがある。わたしたちが立てた行動計画が現実味を帯びてきた。

豊島小学校の連中は、いつもの四人組に加えて後数人が来ていた。

「まずいよ、大人数だ。今日はやめて遊んで帰ろう」クジラが弱気になってきた。

「うーむ、そうだな」わたしも同調しそうになった。

「冗談じゃない。今日じゃなきゃ、いつやるんだよ?」住友が怒りだした。

わたしたちは彼らを気が付かれないように尾行を始めた。

小川と仲間たちは綿飴を食べ終わると、金魚スクイ屋の前で足を止めた。予定通りの行動になるのだろうか。

「オレ、金魚スクイやるから、おまえたちどうする?」小川が言った。

「いっしょにやろう」いつもの四人が行動をともにした。いつも見ない他の連中は別行動になった。

「おいチャンスだ、人数が少なくなったぞ。やめる理由はどこにもない」住友が言った。

「よし、決行だ」わたしも追従した。

「クジラ、神社で用意していろ」住友が命令した。

「おう」と言ってクジラは神社に向かって駈けだした。

彼らは前の子供たちが終わるのを後ろで待っていた。しばらくして彼らの番になり、針金と薄い紙で作ってあるワッカの金魚スクイを手に持ち小川が桶の前に進み出た。

「おい、始めるぞ」住友が言った。

小川が金魚スクイをまさに始めようと言うところだ。わたしは月光仮面のお面をかぶった。住友はひょっとこのお面だ。

「チャンス到来だな」わたしがつぶやいた。

「じゃあ、おまえやれよ」住友がわたしに言った。

「まさか、いいだしっぺがやれよ」わたしは反論した。

「言ってみただけだよ、心配するな」住友が実行犯になることになった。

住友は金魚スクイをやるようなふりをして小川の後ろに近づいた。小川はつま先を立ててしゃがみ込み、金魚スクイに夢中になっている。住友は無防備な小川のお尻の下に、そっと手を入れて持ち上げそして前へ強く押した。

「うわー!」小川は叫び声をあげ、金魚スクイの桶に頭を突っ込んだ。大きい体をそのまま倒れるようにあずけたので、四角い桶が大きく揺れ中の水と金魚がこぼれ出した。驚いてのけぞった客が後ろの客を押したため数人が将棋倒しになった。ヤツの仲間や同時に金魚スクイを楽しんでいた子供たちも水と金魚をかぶりあたりは大騒ぎになった。桶にあった半分以上の金魚が道にばらまかれた。住友とわたしたちは騒ぎに会わせるようにして後ずさりしてその場の様子を眺めていた。まさに痛快、大成功だ。異常な騒ぎに周辺にはいつの間にか人だかりが出来始めていた。わたしたちは人だかりに阻まれ外に出られなくなった。

「金魚を桶に戻せ!」誰かが叫んだ。

「バケツを持って来い!」「桶に水を足せ」

「金魚を踏むな!」あちこちから怒号が飛んだ。

「おい、ぼうず何やってるんだ。きおつけろ!」金魚屋のおやじが小川に文句を言っている。

「後ろから押されたんだよ」小川が言い訳をしながら金魚を拾っては桶に戻していた。周りの子供たちも面白がってはねる金魚とつかんでは桶に投げ込んでいた。

小川は金魚を拾う手を止めて、後ろを振り返りった。ひょっとこのお面をつけた住友うぃみると「おまえ、お面取れよ!」とすごんだ。

「関係ないだろ!」住山が拒否したが完全に怪しまれていた。

「てめえ押したな」小川が言った。

住友は少しビビリながら「ちがわい」と言ったあと「勝手に転んでなにいってんだよ」と言い返した。

「お面の奴ら小川君の後ろにいたぞ」黒縁メガネのチビが叫んだ。

「だからどうした」お面をつけていたので強気にわたしが言った。

「てめえらちょっとこいよ」長谷川が言った。

「いくぞ!」住友が叫んで、それを合図に人混みを無理矢理かきわけで人だかりの外へ出ようとした。

「このヤロー、ちょっと待て!」小川は興奮して息を切らしていた。

わたしと住友はその言葉を無視して駈けだした。追いかけてくるかと思ったら彼らは躊躇していた。それを見て住友は挑発的に「ばかやろー、金魚代弁償しとけ!」と言い放った。それを聞いて彼らは、わたしたちが犯人であることを確信したのか、ものすごい勢いで追跡を始めた。

「きたぞ、神社だ」わたしと住友は猛スピードで神社に向かって走り出した。

空き地を通って突き当たりを左に迂り、神社の階段を上がって、反対の出口に抜ける神社の庭の狭い道に向かった。彼らも懸命に追いかけてきた。小川を先頭に三人ぐらいの様子だ。

「いいぞ、作戦通りだ」

細い抜け道に来たところで、なわとびを用意しているはずのクジラに声をかけた。

「来たぞ、すぐ後ろだ」そう叫んでわたしたちはすぐそばの茂みに飛び込み、用意してあった、水の入ったバケツを住友が小麦粉入りのバケツをわたしが手にとって身構えた。クジラが茂みの中に待機していた。クジラは準備のとき楽しそうに木の枝にロープを巻き付け、高さを調節したりして、引っ張るタイミングを練習していた。失敗するはずはなかった。

「クジラ頼むぞ」わたしは声を掛けた。

「まかしとき」クジラが答え思いっきり引っ張った。ロープは地上二〇センチくらいのところにピンと張った。そしてその瞬間彼らが駆け込んで来た。最初に小川が縄に足を取られてつまずき、後からかけてきた奴らは次々とその上に倒れ込んで行った。そのとき、住友が用意してあったバケツの水をかけ、そのあとわたしがもう一つのバケツいっぱい入っていいた小麦粉を彼らにまぶした。小麦粉は長い間おいておいたせいか固まって放り出された。しかし彼らに命中すると、塊がいっぺんに砕け、白い破片となり、最後は粉になって巻き散らかれた。周辺は白い水蒸気があがったような状態になった。最後の仕上げにクジラが胡椒の粉を大量にばらまいた。

「なんだ、これは!」

「プハー、のどがつまる」彼らは咳き込みながら涙を流しているようだった。

思いがけない攻撃で、先頭の小川は面くらい、小麦粉で目が見えずその場にうずくまった。頭を上げるとおもしろうように真っ白で目と鼻の穴の位置だけが確認できる顔になっていた。

「天ぷらを揚げる用意が出来たぜ」住友が勝ち誇ったように言った。

「さあ、引き上げるぞ」住友が逃走の指示を出した。胡椒の散布は良いアイディアではあったが、自分たちにもかなり被害があった。わたしもくしゃみと咳で顔が腫れ上がるようだったがお面が役に立ち大きな被害最小限にくい止められたた。

小麦粉と胡椒の攻撃は彼らを完全に戦闘不能にするべきはずであった。ところが小川は一瞬怯んだもののすぐに立ち上がり追っ手を捜し始めた。

「このやろー、どこだ、出てこい」小川とその仲間たちは次々に立ち上がると体勢を立て直して再び追いかけようとした。しかし彼らは方向感覚を失い神社の周辺をうろうろするばかりだった。わたしたちは彼らに見つからないように茂みの中を横切り境内から電車通りを抜け再び縁日の雑踏の中に紛れ込んだ。

「もう、大丈夫だろう」お面をはずしながらわたしが言った。住友もお面を取ったが胡椒の粉を吸ったせいか目が真っ赤に腫れ上がっていた。

「危なかったけど、なんとか成功だな」

「バケツとロープは明日取りに来よう」

「顔は割れてないはずだ」

「あれ、クジラは?」

「捕まったか?」

わたしと住友が思案しているとクジラのカエルのお面が遠くに見えた。何とか逃げ切れたようだ。

「あいつ何やってんだ、早くお面はずせってーのに」住友が舌打ちした。

最後は手間取ったが、想像以上の成功にわたしたちはその日の成果にとても満足していた。いままでの胸のつかえがなくなった。

その日は意気揚々と帰ったが、本当はここからが事件の始まりだった。

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