第八章   裏切り者

第八章 富田の裏切り

1

わたしは何故殴られたのかをずっと考えていた。何故彼らはわたしたちの宝物の件を知っていたのか。疑っていたのか。宝物の存在を知っているのはわたしたち三人のみだ。健ちゃんには切手をさばいてもらっただけで何もうち明けてはいないし絶対の信頼がある。崖崩れ直後の斜面にはわたしたちだけだと思っていたが、他に誰かがいたのだろうか。いや、工事作業員が線路側にいただけで、誰にも見られてないだろう。考えられるのは、富田だ。彼はクジラの腕時計に異様な関心を示し、執拗にその出所を問いただした。それは父親の形見の品ということでごまかせたはずだ。したたかな富田はそんなことではだまされないかもしれない。クジラの父親が死んでいないと言うのも気になった。わたしたちの一挙動を隈無く観察して真実を突き止めるかもしれない。富田にはそんな執念深さがあった。自分の関心のないものには寄りつきもせず、だが一端くらいつくと、とことんはなさないスッポンのような性格だ。わたしの淡泊で鷹揚な生き方とはまるで正反対である。彼にはそれだけの生活力がある。たぶん小さな頃からの境遇がそうさせたのかもしれない。ともかく明日の宝の移動は中止した方が良さそうだ。わたしは公衆電話ボックスに行って住友に明日橋で会うことを約束した。クジラの家も電話はないのではあした家に寄ってさそうことにした。富田には悪かったが彼は誘わずに三人でまず話し合おうと思った。

日曜日の昼頃、その日も相変わらず連続した真夏日の真ん中だった。住友がクジラを連れてわたしの家に迎えに来た。そこで話し合って出たわたしたちの結論は、富田が奴らと通じているに違いないということだった。彼はわたしたちの本当の仲間ではないこと、我々に近づいてきた理由が不純なのではないか、さらに彼はわたしとおなじように豊島小学校の校区近くに家がある。以前からあの小学校の連中とは顔見知りが多い。情報は筒抜けなのかも知れない。わたしたちは富田の家を訪ねることにした。

富田の家は二階建てだが、階下にある小さな窓からはがらくたが無造作においてある様子が見えた。がらくたのようにみえた機材類はみな油っぽく、自動車かバイクの機械部品を扱っているような倉庫だった。すべてがすすけていたが、倉庫の入り口に掛けてある南京錠だけが光っていた。

外から声を掛けると彼は在宅していた。寝巻きのような姿で二階の踊り場に姿を現し「おう、なんだよ。階段上がって来いよ」といった。

富田の家族の住む場所は二階のようだ。梯子段をやや上りやすくしたような階段がいきなり道路脇にあり、体をかがめないとつかめない低い木の手すりを頼りに軋ませながら上っていく。子供がやっと二人ほど立てる踊り場には梅や松の鉢植えがいくつも置いてあり、周辺をよけい狭くしていた。

入り口は引き戸でその日は開け放ってあった。中は暗くて奥の部屋はよく見えなかったが、歩くと少し沈む感じの畳で四畳半くらいの広さがあった。やたら天井が低いせいかともかく狭苦しい洞窟のように見える。小学生のわたしでさえ、身をかがめたくなる。さらに暗い奥の部屋は台所で、昼食後の食器類がそのまま流しにつけてあった。ほかの家族は出かけているようであった。家具の様子から推察すると、どうもこの二階の二部屋で家族全員が生活しているようだ。中は陽射しが遮られひんやりとして気持ちがよかった。

「おまえ豊島小の奴らと仲がいいのか?」住友が切り出した。

「何の話だよ」富田がまずとぼけて見せた。

「わかってるくせに」クジラが詰め寄った。

「全然わからないよ」

「富田、今正直に言った方がいいぞ、後で話がややこしくなる」とわたしが大きな声で迫った。

「つまり、オレたちの、見つけたもののことだよ」住友が静かな声で言った。

「知らない」富田は視線を逸らしながら言った。

「じゃあ、クジラの持っていた腕時計はどうしたと思う」

「親父の形見だろ?」父親が生きているという話は出さなかった。

「じゅんのモンブランは?」

「誕生日プレゼントさ」

「質問を変えよう。小川ミチヒロ知ってるよな」わたしは攻め方を変えた。

富田は低い天井を見て首を何回もひねった後、思い出したように答えた。

「あの、豊島小学校の太ったヤツ?」

「そうそう、最近会ったことは?」わたしも天井を見てみたが、不思議なことに所謂天井はなかった。よく見ると屋根そのものだった。傾斜が緩い屋根がそのまま見えているのだ。ここに天井をつけると完全に大人の頭はぶつかってしまうと思った。

「ないよ」ぴしゃりと言った富田の声で我に返った。

「ウソつくなよ、オレ大塚駅で一緒のところ見たぞ」おなかに力を込めて一息に言った。わたしはカマを掛けた。

「え、いつ?」

「最近だよ」わたしの顔を覗き込むようにしてから、またしばらく考えていた。

「ああ、そういえば偶然会ったことがあるなあ」

「やっぱり」心の中でヤッタと思った。

「そのとき何を話したんだ?」住友が詰問した。

「なにも話してないさ」

「おまえ奴らのスパイ・・・」とクジラが言いかけたとたん富田の態度が一変し声をあらげて喋り始めた。

「おまえら何が言いたいんだよ、聞きたいことがあるならはっきりいえよ! さっきから聞いてればネチネチしやがって、やってられないよ!」富田はものすごい剣幕でまくし立てた。わたしたちはそれを聞いて少しひるんだ。クジラはその勢いに驚いて二三歩あとずさりしていた。

「オレが、奴らに何か密告してとでも言うのか、オレはおまえたちのこと何も言ってないし、奴らとは家が近いし会うことだってある。でも何もたくらんじゃいないよ。たくらむ必要もないじゃないか。そうだろ木村?」そこまで一気に話すとわたしの方に向き直った。

「なんとか言ってくれよクジラ、オレたち仲間だろ」今度はクジラに向かって訴えかけるように言った。

「住友、これからも一緒に野球しようよ、ピッチング教えてくれよ」富田はわたしたち一人一人順々に訴えかけた。しばらく誰も口を利かなかった。

わたしたちは、示し合わせるでもなく住友の返事を待った。住友もどうしようか迷っているようで、ぼろ屋の中をきょろきょろ見回していた。天井がないのに気が付いたのだろうか、びっくりしたような顔をして上を向き首を回す仕草を繰り返していた。

「何とか言ってくれよ、住友!」富田が田舎芝居の芸人のようなセリフでせっついた。

「まあ、いいや、富田」住友がどうにでもとれる裁定を下した。

「住友、やっぱ信じてくれたんだな、さすがリーダーは違うぜ」富田は住友を褒めちぎり歯が浮くようなお世辞を連発した。いつ住友がリーダーになったのかわたしは不満だったが、まあ、外から見るとやはりリーダー格に映るのかと思い納得してしまった。

富田はどうやってあんな啖呵を考え出すのだろうか。誰に教えてもらったのだろうか。押したりひいたり自由自在に言葉を操る。そして住友を説得すれば何とかなるという計算も働いていたようだ。しかたがなくわたしたちは彼に疑いを掛けることをやめて、以前のように付き合うことにした。もちろん、仲間として行動すること、奴らに近づかないことを誓わせた。しかし、考えてみれば何の解決にもなっていなかったのだ。住友はわたしに近寄ってきて「まだ信用した訳じゃないからな」と耳打ちしてからみんなに「暑くてやってられないぜ、今日はプールだ!」と大声を出して誘った。

2

区民プールは着替えの施設がぼろで気に入らなかった。それにいつも混んでいるが、家から近いし豊島区民ではないけれど小学生は料金が安いので頻繁に利用していた。何度もプールに行く計画は延期されていたのでその日は本当に久しぶりだった。急いで着替えをすまし足から水に入った。ひんやりとして身体を刺すような刺激を期待していたが、その日は暑さと混雑でぬんめりとした緊張感のない水質だった。

「何だ、風呂みたいだ」

「ぎゃ、ぬるま湯だ」クジラも不平を言った。

それでもその日の暑さをしのぐには十分だった。相当に混雑していたので競争したり、まっすぐに泳ぐのは不可能だった。人をよけ、くねくねと曲がりながら平泳ぎでプールを横に往復したがどうしても誰かにぶつかってしまう。しかたがないので石を投げて拾う遊びをやった。これには裏技をつかった。同じような形の石をいくつか持っていて遠くへ投げる、探してうまく行かなければ持っているのを披露するというやり方だ。この掟破りの方法でわたしはいつも一番になれた。プールの二時間はすぐに過ぎた。

プールの帰りは必ずアイスキャンデーを買って食べるのがわたしの習慣だった。住友と富田は家に戻ったので、わたしとクジラはキャンデー屋に寄り道することにした。割り箸には長さ二〇cmほどの丸い筒状の白いアイスキャンデーが付いている。割り箸の先に当たりマークが刻んであればもう一本もらえる。当たり棒は割り箸の先に焼き印らしき焦げ付いた字が押してある。当たり棒をごまかすため、誰かがはんだごてを使って偽造し大量に当たり棒が出回ったためキャンデー屋が警戒した。そしてついに「アタリ」を「あたり」とひらがなで書いて偽造した輩がおり、それ以来アタリの割り箸はキャンデー屋からすべて姿を消してしまった。

プール隣の天祖神社の南側には広い空き地があった。空き地の廃材に腰掛け、ちんちん電車が通るのを眺めながら食べるアイスキャンデーは最高だった。けだるく疲れた体に甘い香りの糖分が全身を癒してくれる。プールで少し冷やされた身体はすぐにまた焼けてきて肌の茶褐色に磨きが掛かった。

アイスキャンデーをしゃぶりながら、神社そばの空き地で休んでいると、角刈り頭にタオルでねじり鉢巻きをした姿の兄ちゃんが木箱を肩にかついでバールを手に持ち、駅の方から空き地につながる階段を上ってきた。板の切れ端を合わせて作ったような木箱を、からだの大きなその兄ちゃんでもたいそう苦労してかついでいるように見えた。空き地のほぼ真ん中までくると木箱を大事そうに地面におろした。額には汗が噴き出しており、ねじり鉢巻きのタオルを取って顔と頭を拭いた。ランニング姿の首から肩にかけては木箱が食い込んだ跡がくっきりと赤い線になって見えた。木箱の上蓋をバールで丁寧にそして素早くこじ開けた。きゅっきゅっと音を立てながら釘が抜かれると、中からものすごい力で押しつぶされて詰め込まれていた籾殻が勢いよく飛び出してきた。そして少し小ぶりの青いリンゴも籾殻の中から顔を出しているのが見えた。たぶん駅前商店街の果物屋の従業員に違いなかった。汗を拭き終わった兄ちゃんはタオルを今度は腰のベルトに挟み、これから始まる退屈な作業を呪うような顔つきで、ひと息付いた後「おらよ!」と言って、箱を空き地の真ん中でゆっくりとひっくりがえし籾殻の山を作った。空き地には木陰がない、太陽に照りつけられている籾殻の山の中からたくさんの青リンゴが出てきた。わたしたちはものすごく平和な気分でアイスキャンデーをなめながらその作業を眺めていた。果物屋の兄ちゃんは籾殻の中からていねいにリンゴを取り出し開けた空箱の中にひとつひとつ戻した。作業が終わると来たときよりやや柔和な顔になってリンゴの入った箱を肩にかついでもと来た道を戻っていった。それは、わたしたちのいる間に数回繰り返された。わたしたちはアイスをとっくに食べ終わっていた。

何回目かの作業の後、果物屋の兄ちゃんはわたしたちに声をかけた。

「おまえら暇そうだな」

「まあね」わたしが生意気そうに言った。

「おまえら手伝ったらリンゴやるから」そう言ってわたしたちを軽作業に誘った。

「どうすればいいの」元々わたしたちは何もすることはなかったし、その誘いの二つ返事で乗っていった。

「オレがここにリンゴ箱をひっくり返すから、おまえたちはその中からリンゴを探して箱の中に戻す。簡単だろ」

「わかった、探して箱に入れればいいんだね」

「ああ、傷つけないでな、丁寧にやれ」

わたしたちはリンゴ箱をひっくり返して中身を空き地に広げた。籾殻の大きな山の中からリンゴを取り出しては箱に入れた。クジラの方を見ると奴も一生懸命に働いている。籾殻は暖かく乾燥していた。砂場の宝探しのようでこちらが入場料を払って遊ばせていただきたい気持ちだった。大人の仕事なんてチョロいものだと感じた。

わたしたちが楽しんでリンゴを探しては箱に詰めている間、果物屋の兄ちゃんはわたしたちがさっきまで休んでいた廃材の上に腰をおろしてタバコを一服しながら、遠くにみえる大塚駅に山手線の電車が出入りするのをぼんやり眺めてた。その態度を見ていたら仕事さぼって子供にやらせている搾取者のように思えて良い気がしなかった。

「おまえたちどこの学校?」また、大人の紋切り型の質問が始まったと思った。

「豊島小」わたしは瞬間的に嘘をついた。クジラがわたしの方を見た。

「オレの後輩だな?」

「ああ、そう」気のない返事をした。

「何年生?」

「六年」会話はそれ以上続かなかった。

わたしはすべてのリンゴを箱に入れたふりをして一つを籾殻の山の中に隠した。籾殻を探して自分が確保したリンゴ以外に確認できなくなったところでクジラに声をかけた。クジラも作業を終えていたようで、「もうない」と言うように手を横に振る仕草をした。

「終わったよ」とわたしたちは果物屋の兄ちゃんに声をかけた。

「ごくろう、じゃあごほうびだ」果物屋の兄ちゃんはそういって、わたしとクジラに商売には向きそうもないできるだけ不格好で傷物のリンゴを選んで一個ずつ手渡し、肩に空のリンゴ箱をかつぎ機嫌よく口笛を吹きながら帰っていった。

果物屋が帰った後クジラがわたしに言った。

「おまえ隠したろ」

「おまえもな」

「いくつ?」

「ひとつ」

「オレも」

わたしたちは味を占めて、また次に果物屋の兄ちゃんが来るのを待った。結局その日は二回手伝いをして四個の戦利品があった。

3

空蝉橋から春日通りに抜ける道は車がほとんど通らない割には幅広で、道路脇は近所の住民の駐車場と化していた。その中に数週間置きっぱなしの茶色の小型乗用車があった。たぶん古くなったのでそのまま放置してある車だと思っていた。タイヤは左前輪がパンクしたまま、埃りだらけでナンバープレートは外されていた。そばを通るときにいつも気になっていたが、ドアに手をかけて引いても開かなかった。ところがその日、皆と車のそばを通りかかると左ドアのウインドウが割られていてロックが外されていた。誰かが中の物を盗んだに違いない。

「おい、中に入れるぞ」住友がやや興奮しながら言った。

「やばそうだな」クジラが言った。

「オレが運転する」そういって住友が車のキーを探したがあるわけがない。

わたしも中に入り助手席に座った。ダッシュボードの中を探ったが、車検証も取扱説明書もなく古ぼけた地図が一冊あるだけだった。

「こりゃおもしれえ」クジラは車の屋根に上がったり、トランクに入ったりやりたい放題だった。

車を運転することは憧れだった。自宅には車は所有してなく健ちゃんのオートバイの後ろに乗せてもらうのがせいいっぱいだった。住友は運転席に座ってハンドルをにぎり、口でエンジン音を出しながら悦に入っている。唇を振動でふるわせぶるぶる言わせていた。まるで金魚鉢の中の金魚が口を上に向け空気を求めているようだった。車中はガラスが破られていたため細かい砂や土で汚れておりわたしたちの洋服はいっぺんに粉をかけられたように埃っぽくなった。

「おい、気分がでないな、外に出て車を揺らしてくれよ」住友が言った。

「おまえやれよ」わたしが住友のわがままを制した。

「じゃあ、じゃんけんだ」クジラを入れて三人で対決した。

結局、わたしが負けて外に出た。後ろのバンパーの上に立っておもいっきり体重をかけてクッションを利用して揺らした。

「どうだ、気持ちよかったか?」わたしが叫んだ。

「うん、最高だけど、もっともの凄くやってくれ」住友が要求した。

こんどは車の前に回って、前方のバンパーに足をかけて揺らした。ウインドウ越しに子供が一生懸命になってハンドルを握りしめている姿を見ていると、なんだか滑稽に見えた。揺らしているとボンネットのロックがはずれているのがわかった。揺らすのを止めボンネットを上げると機械がぎっしり詰まっているのが見えた。住友が車から出てきて二人で中を覗き込んだ。

「これがエンジンで、これがキャブレター、これがバッテリー」住友は、聞きもしないのに次々と部品の説明をしていった。かなり詳しいようだった。そう言えば住友の家には自家用車があるし、オヤジは自動車会社に勤めている。

「このバッテリー使えそうだな」

「なにに使うの?」

「明かりをつけたり、電気の実験をしたりできるのさ」と住友が解説した。わたしはそれがとても貴重品のように思えた。

「もらっていこうよ」

「はずせないかな」

「トランクに工具があるはずだ。クジラ見てこいよ」住友が言った。

クジラがマイナスドライバを持ってきた。住友はドライバーを使ってバッテリーを止めてある部分と配線されている部分を丁寧に外しバッテリーだけを取り出した。

「まだ使えそうだ、ショートさせるなよ」

道にバッテリーを置き、ボンネットをすごい音を立てながら閉めた。この戦利品を使っていろいろ遊べそうだ。それに、わたしは住友の実験という言葉に大いに惹かれ、夏休みの工作に利用することも思い浮かべ楽しい気分になった。

「運転の続きをやろうぜ」

「揺さぶり要員交代!」とわたしが号令を発した。

運転席の気分は上々だった。キーを入れて回し、エンジンが掛かる音を口でまねした。ハンドルの下を見ると、キーボックスとドアの間に蜘蛛の巣が張っていた。こんなところで獲物はあるのだろうか。考えていると、さっきからの騒動に驚いたのか一匹の蜘蛛が這い出してきた。やや大きめの家蜘蛛だった。捕まえようとすると蜘蛛はジャンプして住友の腕に留まった。住友が驚いてのけぞり「ぎゃー」と言って、わたしに何とかしてほしいと懇願した。わたしにとって蜘蛛は友達だった。憎めない生き物なのだ。蝶々は嫌いだった。羽化する前は毛虫だし、羽は壊れやすいし、なにより吹き出す羽の粉がいやだった。カブト虫は怖かったが蜘蛛とミミズは全く平気だった。住友がたたき落とそうとしているのを制止して、わたしがつまみ上げ手のひらに乗せた。一センチほどの蜘蛛だが殺したくはなかった。蜘蛛は益虫という概念があったので、そのために親しみがわくのだろう。祖母から朝の蜘蛛は縁起がいいとか、蠅とか蚊の害虫を捕ってくれる益虫だから大事にしろといわれてきた。指で柔らかく捕まえてウインドウから手を出して外に逃がしてやった。蜘蛛は糸をひいて初夏の風に乗って公園の方にとばされていった。

クジラが外にでて今度は車の横に立って揺さぶった。力一杯やるが非力なのもあって全然迫力がない。今度は車の屋根に乗ってジャンプを始めた。屋根上でがんがん鈍い音が響き、埃が落ちてきた。そのうち天井が少しへこみだした。

「うるさいだけだ、もっと何とかしろ!」住友が後ろの席でふんぞり返って怒鳴った。

「屋根がぼこぼこになった、オレ知らねー」クジラが楽しそうに叫んでいる。

「だからもっと揺らせよ、後ろのバンパーがいいぞ」

「わかった」クジラは車の屋根からおりてうしろに回り、最初にわたしがしたようにバンパーの上に立って揺らし始めた。

「それ、それ、いい調子だぞ」すっかり運転している気分になり、楽しくなった。

「もっともっと」言いながらハンドルを左右にきり続けた。小さい揺れに混じってときどき大きな波がやってきた。

「いいぞー、クジラ」言いながら変な予感がした。クジラがこんなに力があるはずがない。バックミラーを見ると自分の顔が見えた。ゆっくり後ろの窓が見えるようにミラーを調整すると、泣きそうになっている顔のクジラの隣に何処かで見た顔の、からだの大きい子供が一緒になって車を揺らしている。

「だれだ?」後ろを振り返ると住友は気づかずに足を組んで、専用車の後席でくつろいだ会社社長のような体勢でふんぞり返っていた。

「おい、なんだか外の様子がおかしいぞ」わたしは後ろの席で相変わらずくつろいでいる住友に言った。

「なにが」といいながら住友は後ろを振り返った。

「やばい、隣の学校の奴らだ」

「おすもうさんだ」その叫びが終わる前に、屋根の上からもの凄い衝撃音があり天井が大きくひずんだ。わたしたちは思わず頭を手で覆った。

ドライブが最高潮になっていたところで、豊島小学校の奴らが来たのだ。ここは豊島区で奴らの学校にも近い。彼らのなわばりだった。

「おまえら、こんなとこまで遊びに来ているのか」車の外から大きな声がした。彼らだということは直ぐわかった。彼らは小川を入れて四人いた。形勢は不利だ、面倒なことになる前に早く逃げる方がいい。

「悪いかよ!」住友が、気負っていった。

「だれの車だこれは」小川がドスの利いた声で言った。

「オレたちが見つけたんだ」クジラが応した。

「おや、こないだの泣き虫のお兄ちゃんじゃないか」小川がクジラを見て言った。

「お顔の傷はもう治ったかい?」長谷川もにやにやしながら近づいてきた。

「おい、じゅん、こないだはよくも逃げたな」小川がすごんだが、わたしは何も答えなかった。

「人の車こんなにして、まずいんじゃない」ソバ屋の玉木が口を出してきた。

「壊れてたんだよ、知ってるくせに」わたしも負けずに口をトンがらせた。

「一ヶ月前から置きっぱなしだよ」

「あんまり、オレたちのなわばり荒らすなよ」長谷川が肩を揺らしながら言った。そして長谷川は道路脇に置いてあるのバッテリーに目をつけた。

「いい物があるな、これもらって行こう」長谷川が勝手に持ち帰ることを宣言したが、わたしたちは誰も反発しなかった。

「とってこい」玉木が黒縁メガネに命令した。

黒縁メガネは言われるままに、バッテリーを重そうに持ち運び、南の島の原住民がキングコングに捧げものをするような物腰で差し出した。

「なんだよ、おまえが運ぶんだよ」小川に言われて黒縁メガネは不満そうに言った。

「でも重いよ」

「だから?」みんなから無視されそれで会話は途絶えた。やはり、黒縁メガネはいじめられていると思った。

「バッテリー少しは金になるかなあ」小川が言った。連中の動機は不純だと思った。わたしは、実験に使うと思ったのに。しかし多勢に無勢、わたしたちは逆らえずに彼らの行動を見守っていた。彼らはそれ以上わたしたちにはかまわずバッテリーを運んで帰っていった。

「ちきしょう、なめやがって」住友とクジラが同時に言った。

「もう帰ろう、つまんねえ」

「今日の遊びは終わりだ」

「やつらはいつもつるんでいる。一人じゃ何もできやしない」

「情けないよな」クジラが憤慨して言った。つるんでいるのはわたしたちも同じような気がした。でも三人は自由だ、拘束されることはなにもない。

「それに奴らには完全に序列がある、オレたちは平等だよな」クジラはわたしたちのグループの優位性を盛んに主張した。

「黒縁メガネなんて完全に奴隷だよ」

「奴ら楽しそうじゃないよな、それが決定的な欠陥だ」

「うん、あの黒縁メガネは完全にいやがっている」

「ともかく、奴らこのままじゃ置かねえ」住友が強がったが、何をするすべもなかった。わたしたちは打ちひしがれたまま、帰途についた。

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